AFURI (株) ZUND-BARセントラルキッチン
ラーメンの奴隷であり続けたい!店長という役職を捨てセントラルキッチンへ! 2011年東北の大震災をきっかけに覚醒したAFURIの味を統括する男!!

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店名
AFURI (株) ZUND-BARセントラルキッチン
住所
神奈川県厚木市七沢1954-7
席数
29席(カウンター7席・テーブル22席)

AFURI (株) ZUND-BARセントラルキッチン
ラーメンの奴隷であり続けたい!店長という役職を捨てセントラルキッチンへ! 2011年東北の大震災をきっかけに覚醒したAFURIの味を統括する男!!

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 自分は地元が埼玉県なんですけど、埼玉県で23歳ぐらいまで生活してて、中学ぐらいから音楽に興味を持ち始めて、地元の幼馴染を集めてバンドを組んでやってたんです。高校生ぐらいになったら、ずっとバンドメンバーたちと同じ場所に集まるようになって、なにか面白いことできないかな~って流れで自分たちで音楽を作り始めて、ずっとバンド活動をやってる中で、じゃあ東京に行こう!ていう話になって、東京で各自一人暮らしをやりながらバンド活動を始めたんです。

 まぁ結果的に言ったら、4年後には商売にもならず、デビューもできず、解散っていうかたちになってしまったんですけど。バンドも終わってみんなそれぞれ道を探すわけなんですね。

 地元に戻る者もいたり、彼女と身を固めてちゃんと定職に就く者もいたりする中で、そのイメージが自分の中で前向きじゃないというか、都落ちしていく感じのニュアンスが自分には納得できなかったんです。まだもがきたい自分がいるというか。なにも成してないまま、地元に帰ってダメでした~とかって笑える自分ではなかったというか。

 バンド活動してる間も飲食店でバイトしたり、食費を浮かせるために手に職をつけるとかじゃないですけど、そういう調理の技術を身に付けてやってる中で、社員にならないか?とか話とかしてもらってたりしてたんですけど、最終的に自分が料理に魅力を感じるのってなんだろう?て考えた時に、バンド活動の時から日常的に常に近くにあったラーメンで。ラーメンブームで店主がテレビで出たりとかしてるのを観て、ラーメンっていうのがポンってワードで頭に浮かんできて!

 本屋さんで求人誌とか立ち読みとかして、「飲食」「ラーメン」っていろいろ調べてる時にいくつかあったんですけど。(笑)あの時の媒体が「ガテン」だったと思いますけど、そんなに大きな枠を使ってるわけじゃなかったんですけど、その中に「AFURI」ってあって。他にも面接何件か受けたんですけど、その中でも「AFURI」ってまだまだすごく若いチームというか、今から始まろうとしてる感じだったんですよね。他のラーメン屋さんは、結構組織としてもガッチリできてる感じがしていて、出来上がってるな〜て感じだったので、「AFURI」だと自分の力が発揮できて、自分のやりたいことがかたちになりそうだと思ったんですよね。もちろん待遇面とかは全然比較にならないぐらい、ガッチリ組織化してるところの方が良かったりはしたんですけどね。

 「AFURI」はすごく魅力的で、27歳の時に入社しましたね。

 入社したときは、今の中村社長(現AFURI社長)にも会ったこともなかったですし、井上さん(九月堂店主)は、セントラルキッチンにいましたし、自分は東京にいたんで。1年ぐらいしてから、当時の店長が行く行くは独立したいから、店長の椅子を明け渡したいと思うから、自分にバトンを渡したいという話を受けたんです。自分もまだまだその時点ではずっとここでやっていくつもりもなかったですし、お金が貯まったところで俺も店長というバトンを誰かに渡して…なんかそういうサイクルのお店なんだな!ていう認識もあったりして。だからその時って、店長を経験した人間は、そのまま外に出ていくという図式が出来上がってるというか。ここに残ってやっていこうぜ!て感じのチームではなかった感じでしたね。

 自分が店長になり、労働時間は長かったですけど、結構稼げてたんですよ。(笑) まだまだ意識的にも高くない時期に、結構お金をもらえちゃったりして。その時に、店長として苦労した点と言ったら、現場で語れる人間が誰一人いなかった。指針となるものがなかったですかね。

 だから中村社長が戻るきっかけとなった部分で言ったら、自分が原因というのも大きかったと思いますし、チームとして前に進んでいくって感じを出せてなかったっていう部分もありーの、接客がもともと好きだったかどうかでいうと、嫌いな方だったんですけど。(笑)まぁ得意ではなかったけれども、その中でも逃げずに向き合ってやれることはしっかりやってお客様には迷惑が掛からないようにしようと思ってやってたんですけど。

 自分の思いを言語化することもままならず、なかなか伝わっていかない感じとかもすごくあったりとかして、そういった中でいよいよ俺もダメかな~って思ってた時に、中村社長が戻ってくるみたいな話がきたときに、「おっ!」と思ったんですよね。僕が入ってきた時点で

 「ヒロさん!ヒロさん!」って現場ではよく聞いてたんですけど、ヒロさんって今どこにいるんですかね?」って僕も聞いたことあったんですけど、誰もわからず。(笑) 聞いてみたいことがたくさんあるな~って自分もいたりして。井上さん(九月堂店主)にもその辺を質問したりした時も、自分がしっくりくる答えが返ってこなかったりとかで、なんせオリジナルを知らなかったんですよ。

 そんな知りたい、知りたい!て思ってるときに戻ってくるという話が29歳ぐらいの時に入ってきたので、すごくタイムリーでしたね。

 それで会った瞬間、こういう人がこういうお店を作るんだ!ていうのが自分の中でバチっときたというか。やっぱり自分にない部分をいっぱい持ってる人に憧れるって部分も芽生えてきて。こういう人と一緒にやると、ワクワクしてなんか面白いことになってきそうなのかなとか思ったりして。

 まだ自分が何ができるか確信はなかったですけども、何かを成せるっていう。日本の景気でも気分っていうじゃないですか?!気分が上がってこないと景気も上がってこないみたいなね。そういう気分が盛り上がってきた感じの出会いだった記憶はあります。AFURI恵比寿店にいたときはそんな感じでした。

 そこから中村社長が話してたような流れでZUND-BARのセントラルキッチンで自分が味をやるってことになったんです。そこから怒涛の流れになっていくわけです。

 

「こんな感じで大丈夫ですか?(笑)」

 

「良いと思います。(笑)隣:中村社長

 スープに関してですか?!そもそもで言ったら、うちの味でいうと「中村屋」じゃないですか?!だから今の自分のやり方というか、立ち位置というか、生みの親と育ての親が違うちょっと特区いなラーメン屋だと思うんですけど。自分の立場で言ったら、育ての親というか。それをどう育てて磨いていけるかが重要で、結構そこって否定しがちなところでもあるじゃないですか?!自分のオリジナリティを出そうとか。でも振り返ってみて自分がそこで正しかったなと思うことは、僕はすごく中村屋をリスペクトしていて。あの味がすごく憧れていたというか。レシピがどうのこうのとかあんまり興味がなくて、どういう想いで、どういう流れでこういう味に辿り着いたんだろうとかの方が自分の中で重要だったりしていて。そのスピリットさえ中執できれば、決して間違った方に行かないな~っていうのがすごく感じていたので。

 どうしても自分がトップになって自分の色を出すというか、自分の個性を出すみたいなことが職人だ!って意識はなかったですね。だから中村屋の2号店のような立ち位置で中村屋の味をやってる自分を後ろめたいとかもなかったし、その味を育てていくことこそが自分の使命だと思ってました。初めから順風満帆じゃなかったですけど。今振り返ると、やってる間にそれが確信に変わったって感じですかね。

 そこから始まって、自分がセントラルキッチンに来た当時は、まだまだベテランスタッフがお店を担ってて、どちらかと言えば自分は新参者でまだまだ遠慮したりする部分とか気後れする部分とかがあって、統括という立場でありながらも現場を全くコントロールしきれてない歯がゆさがあったりする中で、2011年の東北の大震災ですかね。あの時期に結構、内側もバタバタしてまして。社員が結構いろんな理由でベテランスタッフたちが順に抜けていく状況があって、気が付けば社員が自分ひとりっていう状況がありまして…。(苦笑)

 その時は、いよいよヤバいぞ!って思いましたね。(笑)

 2011年8月に中目黒店がオープンすることが4月ぐらいに決まってまして、その準備に関して人も集めないといけないし、待ったなしの状況がずっと続いてたんですけど。そこからですかね、スイッチが入ったというか、覚醒したというのは。

 その時点で1日の拘束時間で言ったら、朝7時に来て夜中12時に帰るっていうのをずっと繰り返してて、本当一人でタレもスープも油もその他具材も準備して仕込んで、配送に出してみたいなことをくったくたになりながらやってましたが、その時なぜか、もうやりきれないよ!って思うことよりも、もっと美味しいもの作ろう!と思い続けれた自分がいたのがすごく救いだったというか。

 良く例えで出すんですけど、『ドラゴンボールのスーパーサイヤ人』みたいな感じですかね。(笑)ヘトヘトになったときにバーンって強くなるじゃないですか?!あの感覚ですかね。(笑)その感じがあったのと、あとはそれをやっぱり一緒に支えてくれたスタッフが周りにいたってことがすごく心強かったですね。そういう姿を見てやっていきたいと思えたスタッフが身近にいたということがラッキーでしたね。

 そこからチーム熊沢が始まったというか、味のブラッシュアップも本格的にベテランスタッフやらなんやらに気を遣わず、自分のイメージしたことや中村社長と共有してたことを具現化していくような快進撃が始まったんですかね。

 そっから端折っちゃうと、今に至るって感じですかね。(笑)

 味に関しては、シンプルですごくわかりやすく言ったら、僕のこだわりうんぬんはどうでもよくて、お客様がどう思うかがすごく大事で、もちろん『AFURI』とか『ZUND-BAR』も特徴として職人が主役になってないじゃないですか。職人がラーメンよりも前に出るんじゃなく、うちはラーメンが主役というか。だからラーメンがどう思われてるかがすごく重要で、もちろんその中にはこだわりとか魂を込めてる部分はたくさんあるんですけど、「AFURI」のおしゃれな外観とか内装とか関係なく、食べて美味いかどうか勝負だと思うんで、ひとつひとつ説明することはできるんですけど、僕の舌が回らなくなっちゃうで!(笑)つまり主役はラーメンってことですね。だから、僕らはラーメンにスポットが当たるための黒子の役割というか、どれだけラーメンに尽くせるかというか。ラーメンの奴隷であり続けれるかじゃないですかね。

 経営者と職人さんがうまくやっていくにはですか?いや~うまくやっていけてるか分かんないですけど!(笑)

 僕の中では、メディアの力もあったかもしれないですけど、栄さん(中村栄利)が結構神様のような存在で、お兄ちゃん(現AFURI社長)はどちらかというとちゃらんぽらんな人っていう先入観はありましたからね。そういう噂もあったんですけど、実際会ってみたら、イメージもあるんだと思うんですけど、王道ど真ん中ど直球みたいな発想・考えの方というか、それを貫く美学を強く持ってみんなに接してる姿勢を見てると、「お兄ちゃんの方がすげ~んだな~」っていうのは思いましたね。(笑)

 あとは中村社長も「センスが無いやつはダメだ!」みたいなこと言ってましたが、センスは共有できてる感じはしますね。理解は全部じゃないですがくみ取れてる部分はあると思いますね。それがうまいことリンクしてるからうまくいってるというか、うまくやっていくための議論はずっとやっていけてると思います。(笑)ちょっとでも違和感があったら言いたいですし、それ有きの成功だと思いますんで。うまくいってるという安心感は持たないようにしています。安定領域はある程度あっていいと思いますけど、ほっと一息ついてもいいと思いますが、なるべくそこには長居しないように、ネガティブな方じゃなくて、どちらかというとそこに不満を感じるようにはしてます。

 そこには自分らを進化させるための気付きがなにかあるんじゃないかなと思いますけどね。だからラーメンを進化させていったというかは、自分の成長をつなげていったって感じですかね。自分の成長とラーメンの成長が結構似ていて、そう考えるとラーメン自身が僕自身だ!という想いが強くなってきたのがここ最近ですね。自分を褒めてもらうのが嬉しいんじゃなくて、ラーメンを褒めてもらうと嬉しい~みたいなね。

 うちは理に適ってたら、社長に意見は通りますし、味に関しても任されてるとは思います。自由にやれてるからこそ、プレッシャーはありますね。

 どちらかというと支持されて動いてる方が楽じゃないですか?!でもその選択肢を取らずに自由を取ったって感じですね。自由にやる代わりに結果というところで、経営者に見せてるということですかね。それでちゃんとお給料が支払われてみんなが幸せに暮らせていれば!

 

 「給料払ってます!笑」(隣:中村社長)

 いや~でも結婚のパートナー探すより、仕事のパートナー探す方が難しいと思いますね!(笑)

 自分に中村社長と同じ歳のお兄ちゃんがいて、「お兄ちゃんと組める!」って自分の安心感も芽生えてる感じはありましたね!(笑)

 

 

「当時、末っ子感半端なかったですからね!!笑」(隣:中村社長)

 

 今後の目標ですか…次お会いした時に「またラーメン美味しくなりましたね!」って言われたいです。(笑)

 

【 統括 熊沢氏 談 】

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