ストライク軒
ラーメンに対する情熱が産んだ数々の奇跡が繰り出すストーリーと、コンセプトラーメンの“ストレート”と“シンカー”
店名
ストライク軒
住所
大阪市北区天神橋5-8-8
席数
14席(店内10席 店外4席)

ストライク軒
ラーメンに対する情熱が産んだ数々の奇跡が繰り出すストーリーと、コンセプトラーメンの“ストレート”と“シンカー”
店名
ストライク軒
住所
大阪市北区天神橋5-8-8
席数
14席(店内10席 店外4席)

 僕は今年37歳になります。昔っからラーメン馬鹿という感じで、1人でいろんな所を食べ歩いていました。

 それで、ずっといつかラーメン屋やりたいなぁ、と思っていました。僕は縁があって今居酒屋を1店舗やっているんですよ。それで、やっぱりラーメンやりたいなということで、その居酒屋を昼間活用して「ぬんぽこ」というラーメン店を実験的にやっていました。テスト的にですね。

 朝10時~14時までの昼のみでやってたんですよね。そこで調子が良かったので場所を変えて「ふすまにかけろ」の中崎壱丁くんと一緒にここで「ストライク軒」をOPENしました。

 僕の担当するラーメンは漫画みたいなもうミラクルオーソドックスな中華そばで、実は某雑誌の表紙にもなったこともあったんですよ!もう今はやっていないラーメンです。

 メインメニューは中華そばの「ストレート」と変化球ラーメンの「シンカー」の2種類になります。

 ストレートに関しては「ぬんぽこ」時代のラーメンとはちょっとだけ変えて、東京っぽい中華そばの味わいにしています。大阪では珍しい味じゃないかな。

 今はおかげさまで1日100食以上はコンスタントに食べて頂けています。営業時間を通しにしていて、間の仕込みの時間を取らないので、結構ラーメン屋さんの同業者の方だったり、周辺で営業されている飲食店のオーナーさんや市場の方とかも食べに来てくれるんですよ。

 「ストライク軒」という店名の由来ですが、昔東京に有名なお店なのですが、黄色い看板の「ホープ軒」というのがありまして、昔の東京ラーメンの代名詞みたいなラーメン屋さんだったんです。それが「ホームラン軒」という名前だった時代があったそうなんです。

 看板の色に関しては、「ふすまにかけろ」の壱丁くんから「黄色と赤の看板は目立って人目につきやすいって知ってます?」と言われたので、なるほどそういうことか、とそんなイメージです。ストライクに関しては、ホームランはいつも狙えないけど、ストライクやったらいつもギリギリ狙えるんちゃうかな~?笑 ということで。笑

 よく聞かれるんですけど、看板に”昭和88年8月8日”という日付が出てきます。どうしても8月8日にOPENさせたくて看板に載せました。笑

 8月8日にどうしてもOPENしたかった理由は、以前居酒屋のOPENの時に、8月8日にOPENしようと思っていたのに、20日まで伸びてしまった苦い経験があったので、今回こそは絶対にやりたかったんです。笑

 そんな理由看板に8月8日って入ってるんですけど、そしたらたまたまここの住所が天神橋5丁目8-8だったんです。運命感じちゃいますよね。ここが5丁目なのに店舗名で”6丁目店”ってなってるのは、シャンプーハットのてつじさんが、ここは「麺神橋六丁目」とテレビで言っていたので、そのまま採用させて頂きました。

 この地域がラーメンの激戦区という事もあって、面白いと思いませんか?大先輩の名店ぞろいですしね。

 あえてストレートな“ドンズバ”中華そばに行きついた理由なんですが、昔おばあちゃんちの横が中華料理屋さんで、家族で自分が小さい時に食べたラーメンの味が忘れられなくて・・・そういうのありません?

 それがきっかけなんですけど、より深く印象づいた経緯がありまして、小学校の時に「タンポポ」っていう伊丹十三さんの作品の映画に出会ってからなんです。

 映画のなかで初老のおじいちゃんがオープニングアクトで出てくるのですが、その人がラーメンの食べ方を説明するようなくだりが色々あるんですよ。「まずラーメンを眺めます、チャーシューを右斜め前方に配置し、“あとでね”」とか言うんですよ。

 ラーメンってドラマティックだなぁ、って。時折ちょっとエッチなシーンとか色々出てくるんですけど、ラーメンに最後完結するというストーリー仕立てになってて。それのモデルになってるラーメンが実を言うと、東京の荻窪とか京都にあるんですよ。

 そのモデルになってるラーメンが“ドンズバ”の手もみちぢれ麺の中華そばでした。それを食べにいって、そこからですね。

 これはあくまで僕の観点ですけど、ある事に気が付いたんです。 ひょっとしたらラーメンのルーツっていうのは信州なんじゃないか、って。長野ですね。

 まるちょうって有名なラーメン屋さんの長は長野の長だったりするので、ラーメンのルーツは実は長野のそばじゃないかと思っています。もともとそばやから来ているので、魚介で、かえしがあって、そこに動物系が入ってきて、ラーメンになった。それが荻窪のラーメンになっていくんですね。

 ラーメン自体のこだわりに関してですが、もう色んな人に食べて頂いて、感想を聞いて味を作り上げていきましたよ。ラーメン業界の方だけにかかわらず、製麺所の方とか、飲食店の方とか、厳しい意見もありました。

素材に関しては自分が出会った人と人とのコミュニケーションの中で色々な人に出会って、それぞれ選んでいきました。

 今僕の所で使っている鶏ガラは大阪でどこにも手に入らないものです。

 この鶏がらに出会った経緯ですが、僕が居酒屋で使っている卵に感動したのがきっかけなんです。それで卵作っている人の師匠のところまで行って、鶏を譲ってくれってお願いしたんですよ。長崎まで行って。笑

 けど、結局ダメだって言われちゃったんですよね。少ないわよ!と。笑 そりゃそうですよね。 けど、とことん頼み込んでお願いしたらやってくれました。

お金出せばいいものなんていくらでも手に入るとは僕も思います。実際僕も買っていますし。でも、安くていいものを本当に自分の舌で見つけだして、それを提供するのがリアルで一番良いと思いません?

それで僕が何よりこだわるのがガラですね。

あと、人ガラですか?笑

 今後はかえしも更に良くしていきたいなって思っているんです。今試作段階ですが、僕の地元の醤油を使って取り組んでいきたいと思うんですよね。それが究極の醤油なんですよ、ほんとに。それを使って無加調で取り組みたいと思っています。ラーメンで無化調で美味しくってとても難しいことなのですが、やっぱり僕は無化調のラーメンに挑戦してみたいです!

 今は今で醤油3種類ブレンドして、13種類の食材を入れて炊き出したオリジナルのかえしを使っています。

 麺に関しては三河屋製麺さんという製麺所さんにずっとアプローチしてたんですよ。食べ歩きをしている時に、この麺にほんとに惚れていたんですよね。

 製麺所まで1人で訪れて、工場見学もしました。その時は1人で寂しかったですけど、とても暖かく応援してくれて、今では本当に良いパートナーで居てくださっています。製麺所っていうのは、スキルとか味というよりも、それぞれ”性格”がぜんぜん違いますよね。ここは相性やと思っています。

 棣鄂さんも凄く仲良くて、シンカーの麺で使わせて頂いています。両方使っていますが、特に問題はありません。笑 棣鄂さんは関西の会社で、三河屋さんは関東の会社ですが、棣鄂さんも”東の風が西の風に入ってくれると面白いよね”と言って、三河屋さんの麺を使うことも快く応援してくれています。

 「あっしーくんがうちを使ってくれるのも嬉しいけど、色んな麺が世の中にある方が面白いやん!」って、かっこいいっすよね、そういうの。

 このお店の見せ方に関してはかなりコンセプトを意識していますよ。もうただただ色々な人に食べてもらいたい、それだけですね。

 いつかはメジャーリーグに!とも思っています。そうですね、ニューヨークですか、ロスですか?案外田舎やったりして。笑

 

 販促のデザインとかも僕のイメージを伝えて、信頼の於けるデザイナーさんに書き下ろしてもらっています。これはもう人間関係ですね。RAZORS EDGEというハードコアバンドのKENJI_RAZORSさんに書き下ろしてもらっています。すごくいい関係ですよ。発表していないですけど、今後色々仕掛けがあります。小出しにしていきますので、乞うご期待を^^

 スタッフには本当恵まれています。

 川東店長は「ぬんぽこ」がなくなった後に応募してくれて。笑 もともとはトラックの運転手をやってられた方です。応募の時に幻のラーメンや!って言っていましたけど、ええ?そうやったっけ?笑 って言って採用しました。お互い言い合いするけど、仲の良い関係ですよ。本当にスタッフに感謝しています。川東さんありがとう。山さんもね。

(写真:右が山さん、左が川さん)

 僕の目標は、ラーメン学校をいつか開校したいな、って思っています。志願者を募って、皆が勉強してしっかり自分のお店を持てるところまで応援したいなぁ。独立支援をできるような環境づくりがしたいな、と思います。

 やっぱりこれを夢をもてる商売にしていけたらうれしいですよね。

 

【芦田店主談】

 

取材スタッフより

「オーナーの圧倒的な知識量!に私たちたじたじになってしまいました。笑 けれども、丁寧に深い話をじっくり話してくださいました。本当に勉強になりました!ラーメンも、オーソドックスな食べやすいラーメンで、本当に親しみの持てる素敵なお店でした。コンセプトもコラボレーションの背景も、全てがストーリーに溢れていました。勉強になりました!本当にありがとうございました!」