金色不如帰
30歳過ぎて人に頭を下げたくない!人と同じじゃ嫌だ!!自分のブランドを!!! ハマグリにこだわり!今では年間4tのハマグリを使用!ミシュランガイドに選ばれる味へ!
店名
金色不如帰
住所
東京都渋谷区幡ヶ谷2-47-2
席数
8席(カウンター席のみ)

金色不如帰
30歳過ぎて人に頭を下げたくない!人と同じじゃ嫌だ!!自分のブランドを!!! ハマグリにこだわり!今では年間4tのハマグリを使用!ミシュランガイドに選ばれる味へ!
店名
金色不如帰
住所
東京都渋谷区幡ヶ谷2-47-2
席数
8席(カウンター席のみ)

もともと建築現場の職人やってたんですけど、ラーメンが好きでいろんな建築現場に行くときに、一人であちこち食べに行くようになったんだよ。それから25歳の時に建築業界自体、先がないなって自分自身見切る時期が来て、それは婚約結婚を期だったんだけど。このまんまじゃ今の給料からさほど上がんないだろうとか生活のことも考えて・・・、しかも僕がやってたのはスーパーとかの厨房を直したり突貫で24時間とか当たり前だったんで、建築に携わってる人たち一生そうなんですけど、それだけやっても自分の腕を見てくれる人って業者さんみたいな取引業者さんだけでしょ?!

 それが段々だんだん不満になって、「もっといろんな人に自分の仕事を見てもらいたいのに!」ってところから、何をやったら自分の仕事ってたくさんの人に評価をもらえるんだろうと思って、板前さんとかコックさんとかに憧れだしたんですよ。でも歳が25で、結婚前にそんなこと一からできないじゃないですか?!それで安易で大変申し訳ないけど、俺ラーメン好きだし、ラーメンのこと若干なら知ってるからラーメン屋でちょっと修行してみようってところからラーメン業界に入っていったんだよね。

 僕自身が職人気質だったんで、自分の取引先が多くて自分の腕を買ってくれる人たちがいるって、最初はそう思ってたんですよ。独立して自分の仕事を気に入ってくれる人たちと仕事ができたらいいって思ってたけど、実際やって行けば行くほど、そんなに甘くはないな~ってね。自分が営業して、いくらいい仕事しようが、結局単価叩かれて、安い方安い方にみんな仕事を振るような業界で、一生懸命真面目にやっててこれだと商売やってけないと思って、完全に見切りをつけた感じです。

 それで自分が好きで働きたいラーメン屋が2軒あったんですよ。コックさんより板前さんに憧れてたのもあって、職人気質の昔からやってる老舗のラーメン屋さんと和食からラーメン屋に転換してものすごいシンプルで美味しいラーメンを作るラーメン屋さんと。その2つのうち僕が選んだのは、老舗の日本一厳しいと言われてるとこで、面接も7回ぐらい行きましたね。半年ぐらい面接通ったかな。結局その7回も自分のやる気を試されてた感じなんですよね。

 それで4回目くらいに「君はやる気あるみたいだから、うちで1週間研修してみるか?一週間仕事休みなさい!」って言われたんですけど、一週間なんて休めないでしょ?!(笑)

 しかも20歳半ばで会社でも一番稼ぎ頭で、現場も一日何現場も回ってる立場だったから、そんな1週間も部下に仕事任せらんないし、どうしようかなと思いましたね。だから100%やる気で、なんとか理由をつけて会社休ませてもらって、研修入ったら確実にそのお店に入れてもらうために努力しないとマズイなと思って研修してもらうんですけど、その代わりヘロヘロですよ。今までやってきた仕事と内容も違うし、毎日毎日フラフラしながら帰って寝て起きてを7日間続けましたね。

 建築の仕事って、きつい・汚い・危険の3Kでしょ?!でも、飲食店とかラーメン屋って忙しければずっと走りっぱなしなんですよ。僕が居たラーメン屋さんは23席の大きいお店で、厨房もデカくて、仕込み場が足んないからって中2階があってそこで仕込みやるんですけど、上がったり下りたり、配膳したり注文聞いたりとか常にそんなだったから、いつになったら慣れるんだろうってすごく不安で、1週間じゃ全然慣れなかったんですよ。でもこれで生きていくしかないと思ってたし、例えば

 建築業の時からだけど、30歳までには一人前になりたかったんですよ。30歳過ぎてから周りに頭を下げて仕事をしたくないって思ってて、自分が教える立場で、お客さんにはしょうがないけどそれ以外では頭を下げたくないって思ってたし、とりあえず死ぬ気でやりましたね。

 それが26歳の時で、ちょうど結婚式を終えて新婚生活の準備をやってた時だったんで、新婚生活なんて全く無かった。(苦笑)嫁さんは滅入って滅入って大変でしたよね…。お互い本当精神的にボロボロになってましたね。

 僕は上からの踏み付けがひどくて、あおられて常に走りっぱなしで、ストレスで口の中が口内炎だらけになって、なにも食えなくなったりとか、あとは疲れて階段上るとき足が上がんなくて、100度のスープを思いっきり顔からかぶって大火傷して病院に運ばれたりとかしたけど、それでも休ませてくれないからね。(笑)

 僕、4年半皆勤ですよ!今考えればありえないでしょ?!修業してたんで包丁が使えなかったら練習したりしてそれが終わって「お休みいただきたい」って言って頭下げてからが休みって具合。(笑)

丸1日休みもないっていう。それを4年半続けましたね。

 そんな生活を続けながら、辞めるんですけど。その時は独立したいって気持ちはあったけど、なにも決まってなかったけど辞めましたね。まぁ正直辞めたかったんですよ。(笑)

 そこに居ても勉強できないってのもあったから、他で勉強させてもらいたいってのもあったし。そこに居ても勉強する暇がないんですよ。やる仕事が15時間きっちり決まってて、自分で食材仕入れていじる時間もないし、休憩も何もなく、飯食って終わりだから。

 2年目ぐらいから家で食材買っていろいろ作って試してたんで、味に関しては構成はその頃からまとまってたんで、あとは他のところでいろいろ試させてもらって、物件を探しながら底上げをして独立しようと思ってましたね。

 それで違うラーメン屋に移って半年くらい1から仕入れや味の開発などいろいろやらせてもらいながら独立するための物件探してました。

 結局ね、一か所でやってるだけじゃダメなんですよ。他行って他のものを見ないと。それでもう一店舗行く必要はないんですよ。他のラーメン屋に行って、ある程度勉強して自分の味に自信があったら、お店を出してしまって、そこから自分で勉強した方がいいんですよ。それぐらい根気がないと無理ですね。

 そんな経験もさせてもらってから2006月1月11日にこの「金色不如帰」をオープンしたんです。

 幡ヶ谷に、もともと仲のいいラーメン屋さんがあってちょうど中間だからなんかあったら助けてもらえるかなと思ってね。いろいろ勉強をさせてもらえるし、遊びにもすぐ行けるし結構安易に決めたかな。(笑)

 この物件は1番最初に見せてもらった物件だったんだけど、本当は商店街沿いとか良かったけど、空いてなかったんだよ。初めて見てから5ヶ月ぐらい空いてて、何かの縁だよね。ここの物件は路地からちょっと入った辺鄙な部分もすごく気に入ってたけど、絶対商売ならないだろうな~て思って他も10件ぐらい見たけど全然見つからなくて。一人でやるって決めてたから広さも7坪弱で8席くらい取れるし、ここの物件に決めた。まぁ正直一人じゃ回らないけどね。(笑)

 資金は、修業してたラーメン屋さんが給料もよくて、自分で資金は貯めることができたんです。しかも、もともと建築現場の仕事やってたから、ここの内装も自分でやれたんで、借入とかも一切なしでこの「不如帰」を開業することができました。

  当時はまぐりのラーメンって世の中になくて、それを早く出したいっていう思いもあってね。はまぐりを使うとか食材としても高いし誰もやらないと思ってたけど、なるべく早く出したくてね。二番煎じじゃ絶対ダメ!伸びないからね!だから最初からハマグリを使ってのし上がって、なんのコネもなかったけど、このラーメン業界で向こう側から出さざる得ない状況を自分で持っていこうと思って必死で頑張ってきたから今があるんだけどね。

 最初は、全然お客さんも来なかったよ・・・。こんな場所だし。オープン1日目は仲の良いラーメン屋さんが来てくれたり、ポスティングとかもして60人くらいは来てもらえたけど、全然だったね。新店情報もラーメン評論家がネットで配信してくれたりもしたけど、まだネットも今みたいに浸透していなかったから、それほどお客様も来なかったですね。

 今ここまでこれこれたのは、まぁ自分の努力でしょ!常に味を磨いて食材を勉強して、今までずっとやってきましたからね。良くなったらそこで止めないで、次どうしようって常に食材探して、どこかのラーメン屋以外の飲食店に行って抜粋してきたものをためしたりして。

 ラーメン屋さんがやってることは自分は絶対やらない。マネになっちゃうから。だから僕がやってるのって味の構成もたぶん食べただけじゃ分からない。人と同じじゃ嫌じゃん!だってそれじゃ自分のブランドじゃないじゃん?!

 人の看板ぶら下げてお客さん呼ぶのは、自分の店でもないし、それが嫌だったからね。やっぱね、僕は佐野さんに憧れてたの!佐野さんはやっぱすごい人だったから、カッコいいな~と思って、だからどうしても自分のブランドが出したかったんだよね。

 年々味は変わってます。味も自分も進化しないとお客さん付いて来ないしね。同じ味を5年やったってお客さん引いていくだけだしね。自分自身が体感してることだし、自分で味を改良してどんどん味が良くなって、どんどんお客さんが美味しいってついてきてくれて、今でも僕が作ってるものは「ラーメンじゃない!」って言う人ってたくさんいると思うんだけど、でもそのうち僕のやってることは、自分でも先をいってることをやってると思ってるから、いつか周りが付いてきてくれると思ってますね。

 実際今までやってきたことは間違ってなかったんで、この考え方でこれからもやっていくつもりです。

 そんな感じで、オープンして翌月ぐらいに、東京1週間の雑誌に出て、ちょっとお客さんが増えて数週間たったらまたお客さんが減り、次はテレビは3ヶ月後に出て爆発しました。でも、2週間くらいしか続かなくて応援してくれるお客さんは来てくれたりしてたんですが、一向に常連さんがつかなくて…。

 テレビに出れるなんて思っていなかったんで、そこで天狗になっちゃって。「正直、俺のラーメンわかってねぇ~のはお前らだ。俺の味がわかんねぇ奴は食べに来なくていいよ!」とか本当思ってましたね。

 だけど、だんだんお客が減って気付いたんです。味を安定させないとダメだって。でも生もので、常に安定する食材なんてまずない。だから材料を増やすとかしてたけど難しくて、辿り着いたのがスープの底上げをするしかないって思って食材の量やスープの配合、使う食材を変えたりして毎回改良させまくっていたんです。

 ハマグリって、毎回味の出方がまったく違うんです。どうにかそれを解消するためにいろいろな水産会社をネットで探して歩き回って、最後に行き着いたのが三重の桑名まで行ってハマグリを分けてくれって言ったんです。でも、「ラーメン屋でしょ!?」って感じで思われるんだよね。でも、今では年間4トンのハマグリをそこの会社から仕入れてますよ。最初はバカにされたけどね。(笑)

 最近、昔は自分は職人って感じだったけどだんだん変わってきた気がしますよ。おれは職人だから味の部分で頑張っているけど、お客様に対して頑張っている人はそれはそれで真剣だし、お客さんに喜んでもらうために!って人は俺は好きなの。

 でも、ラーメンで金儲けをしていくってやつはすごく嫌いだし、付き合えないよね。それに、例えば同業者で味を見に食べに来て、残して帰るあからさまな人とか、「俺の作ったラーメンをバカにするのはいいけど、食材ひとつに何人の人が絡んで、丹精込めて作ってるかわかってんの?同業者ならそれぐらいわかるだろ?」って思うときもありますね。(笑)

 こっちがどんだけ頑張って食材仕入れて作ってるか分かってるのかって言いたくなるよね!

 今後は2号店をやろうと思っているので、まず味を作って、金曜日の定休日に2号店のブランドで営業して、ここを2号店のブランドの先駆けにしていきたいと思っています。だから、2号店をやるためにその味を形にしていき味を極めて納得した上で2号店をやるつもりですよ。

 9年間自分がやってきたっていうのが、一番重要でどっかで胡坐をかいていたらダメだよね。常に進化をしていかないと絶対ダメだと思うね。だから、繁盛ラーメン屋になろうと思ったら努力をし続けることが大事ですよ。クオリティーを上げ続けて、もっと人間的にもいろいろな人とつながって人間力を上げていきたいと思っています。

 

【山本店主 談】