にんにくラーメン 幸ちゃん
夢はあと15年現場に出続けること。 職人的な生真面目さが作る300人超えの定番繁盛店。
店名
にんにくラーメン 幸ちゃん
住所
大阪市淀川区西三国1-6-41 第5田村マンション1F
席数
46席(カウンター4席、テーブル42席)

にんにくラーメン 幸ちゃん
夢はあと15年現場に出続けること。 職人的な生真面目さが作る300人超えの定番繁盛店。
店名
にんにくラーメン 幸ちゃん
住所
大阪市淀川区西三国1-6-41 第5田村マンション1F
席数
46席(カウンター4席、テーブル42席)

 ラーメン屋で働くきっかけは、めっちゃしょうもないよ。笑 高校の時のツレが高校中退して『薩摩っ子ラーメン』に入って、バイトに誘ってきたから「行くわ~」言うて入ったのがきっかけなんですよ。

 東天満にある本店の『薩摩っ子ラーメン』ですね。17歳の時ですよ。その時は”ラーメン屋をしよう”と思ってなかったんですよ。高校辞めて、仮設の電気工事に就職したんだけど、1ヶ月の給料もらって即効辞めました。

 ”作ること”が、結構自分は好きやったんやなって気がついて、しんどかったしね。笑

 ラーメン全盛期やったから、めちゃくちゃ忙しかった。毎日700~800人の来店があって、平日はスタッフ5人~6人で回してましたよ。ラーメンとチャーシュー麺だけで、1日1,500杯ぐらい出る日もあったよ。

 例えば、夕方6:00~翌朝6:00まで仕事やねんけど、45席あるのにずっと行列! 悪い意味で、お客さんは来て当たり前って感じやったね。笑

 とにかく当時の『薩摩っ子ラーメン』、まぁ今もやけど美味しかったからね。そらぁ〜流行るよね。そして18歳の時に、社員になりました。自分が19歳の年に、店長クラスがマルッと辞めはって、当時の感覚でいうと自分たち下の人間が、やらなあかん羽目になって。

 麺を上げたりするのは練習でやってたけど、いきなり、急に全部やることになったんですよ。けど回しきれない・・・だから、暇な時から練習させてもらってました。

 700杯とか800杯とかを、1日で出せるだけの量をね。やってみたらやれるんよ~。9年ぐらい居ました。

 独立した時なんですけど、『薩摩っ子ラーメン』で1日700〜800杯とかやってたら、ときどき”これ、薄いんじゃないか?”って時があって。でも、そのスープが”意外と凄く好き”で、それを追い求めてやっていましたね。それで、独立するために26歳で辞めました。

 それから、バイトしながら店を探して、この場所を見つけて始めました。

 独立したいという気持ちは、途中から出てきましたね。24歳~25歳ぐらいの時かな。

 薩摩っ子のタレは極秘だから、タレの作り方も分からなかったし、独立してやりたいなぁと思ってましたね。でも、その24歳とかの頃はお金がなかったしね・・・笑

 遊びで、お金を使いまくっていたので、貯金はほぼゼロでしたもん。笑

 最初は、ラーメンとチャーシュー麺しか出来なくて苦労しました。餃子も焼いたことないし、独立した時もラーメンと味噌ラーメンしかメニューに無かったんですよ。だんだん増えてきましたけどね。”1年に1個ずつメニューを増やそう~”と思って、今は少しずつ増えてきました。

 『薩摩っ子ラーメン』を卒業してから、1年間に3店舗いろんなところで働かせてもらいながら、物件探しをしましたよ。ここの店舗を考えてるときに友達にどう?って見せたら、「60点」って言われて。腹たって、「ごぼう抜きじゃ!」って言って。笑

 スケルトンに全部やり変えて、国金で1,500万円借りて、合計2,000万円ぐらいかけてやりましたよ。自分、アホやったんで。笑

 ラーメン作ることは自信があったんで、”もういったれ~!”って感じです。朝11時~翌朝4時まで、スタッフ3人でOPENしました。バイトの子と大学生の子を引っ張ってきて、3人でやりました。「え~僕で、いっすか~?」って来てくれたんですよ。今も居てるよ!本当にありがたい。

 けど、初めは軽かったよ~。笑 今その2人には、店長をやってもらっています。

 あともう1人いたんですけど。その子は去年、家庭の事情で辞めちゃいましたね。14年ぐらい働いてくれて、自分が引き抜いてきたんですけど、ほんまよう出来た子やった。

 自分が人を選ぶ基準は、”人柄”。そして、真面目な人。不器用な奴もうちにはいるけど、”真面目さが大事”。結局は、“良い感じの人”ばっかりですね。従業員と一緒に、ご飯食べに行ったりしょっちゅうするし。

 仕事は、基本的に信頼して任せているよ。

(写真右:スタッフさんと内田店主)<

 味作りに関しては、先輩のうちにお邪魔して教えてもらいながら作っていますね。

 タレの材料は、OPENからずっと変わってない。OPEN前に、始めて実作しましたもん。笑

 僕が思うことやけど、ラーメン屋はタレみたいな風潮あるけど、そうじゃない。味ももちろん大事やけど、大事なのは何より”清潔感”。洗業者より、俺の方が掃除は上手いと思うよ。笑

 3人でやってた時代は、個人の休みなんか全く無いねん。唯一の休みの日には、朝6時から来てみんなで掃除や。

 ご飯食べるところやからね、掃除はしっかりやらないといけない。あと、活気やね!

 OPEN当時、27席で150丁ぐらい出てましたね。営業時間も長かったですし。

 自分の目標は、300丁だったんですよ。それが3年目で徐々に安定してきて200丁以上になりました。1~2年ぐらいはそれが続いて、そこから徐々に上がってきたんですよ。

 元旦も営業しましたよ! 当時は、うちしか開けてなかったですよ。今では、元旦に300丁くらいいきますね。年末は、500丁とかいきますよ。通常の1日の平均は300丁ですね。

 販促もやってないかな。良い媒体は、少しぐらいお金出してでも、出していました。良いのがあったら”やる!”ぐらいの感覚やね。

 その頃バイトも増えてきて、最初は僕ほんと厳しくて嫌になったら「ぴゃー!」怒ってましたね。今は、そんな事ないですけどね。笑

 店舗を展開する人って、”凄いなぁ”って思う。味がバラつかずに、あれだけ展開させるのは凄いなぁって思いますね。

 とんこつは、多分難しいと思うよ?味が違うっていうのは、本当に話にならないと思ってるからね。

 濃く作るのは比較的簡単なんですけど、あっさり豚骨は凄い難しいなって。だから、2店舗がベストかなって思う。

 展開は僕はあまり考えて無くて、スタッフが増えたから、2店舗になっただけなんですよ。増やす基準人!出来る子が出てきたら、店舗だそうかなって思っていますよ。僕が個人的に出したいっていうのはあまりない。

 以前は、“3年~4年目にはガシガシ出したんねん!”思ってたけど、味を安定させたりしていく麺で”無理かな”ってすぐ思ったよ。だから、店舗を出したいっていうのは、今はあまりないかな。

 メニューは期間限定で、味を徐々に増やしているんですけど、基本的に“ちゃんと書く”っていうのが大事。

 例えば、普通”赤みそラーメン”ってメニューだけにして、トッピングだけ別に掲載するようなメニューが多いんですけど、”赤みそわかめラーメン”って書くと、 ”赤みそわかめラーメン”が出るんです。笑

 だから、凄いメニュー多いように見えますけど、実はそんなに多いことないです。ちょっとした工夫ですね。それに、お客さんも”選びやすい”から。

 販売も行ってますよ。これは、薩摩っ子時代からの流れですね。

 スープ作り方のポイントとしては、薄く作ろうと努力していますね。材料はめっちゃ少ない。びっくりするぐらい少ないと思う。頭骨ともみじだけで炊いて、3時間半ぐらいで出来るんですよ。毎日、サラで作るし。それが、どんどん濃くなってくる。それを少しずつ薄めていくというメンテナンスなんですよ。それを薄めるためのスープも、綺麗なスープを作っておかなきゃいけないんですよね。

 お湯は、まず絶対に入れない。二段階あるんです。スープは2つ用意して、良い状態の物を常に使いながら営業しています。

 前に僕の先輩が、「スープ見せて」って来たことあるんですよ。その時に、「薄くてカルチャーショック受けた」って言っていましたよ。食べた後だから、余計に驚いていました。寸胴が1個置いてあるという状況ではなくて、1つの寸胴でず~っと終わるまでやり続けるやり方ですね。これが出来ないんよね・・・笑 ずっと追い込まれたのは、俺だけかよ!いつまで・・・みたいな。笑

 最終的に、”俺がこうなっていたい!”と思うことは、あと15年ぐらい現場におりたいよね。今でも、毎日現場に入ってるよ。2週間に1回だけお休みあるけど、仕事は好きなんよね。現場に入ってるのが楽しいんやと思う。

 メンバーは、本当の家族だと思ってる。”一生の付き合いになる”と思っています。「自分で独立してやる」って去って行っても、ずっと応援してる。独立はなかなか難しいけどね。しんどい時は、しんどいよね。忙しいし。けど、心からいつも思うのは、みんなには、ほんまに家族やと思って感謝してます。

 

【内田店主 談】