-給料減る、遅れる、つぶれる、子供おる、どうしよう!なんとかなるやろ!

 けど、そこのお店が潰れかけて、給料もどんどん遅れて、結局給料もらえずじまいで潰れちゃって、ああ~どうしよう~子供もおるのに~って思いながらも「なんとかなるやろ」ってまだ遊んでました。笑 子供と遊んでたらキャッキャまぁ、楽しいわけなんですけど、ある日嫁が「お父さん明日食べるお米無いよ・・」って漫画みたいな事を言われるわけですよ。

-ラーメンの道は“棚ぼた”だった

 いよいよ僕やばいな、ってなってきた時に、前働いてた潰れた居酒屋の常連さんが中華料理屋を経営していて、これからラーメンやってみないという話を持ってきてくれたんですよ。1年ぐらいやったら面倒見てあげようかという話で。なんかその時僕の中にスッと入ってきたんですよね。まず僕は店を持ちたいって思っていた。それで毎日食べていたラーメンの話が舞ってきた。これはもう運命やろ、という事で頑張ってみようって入ってきたのがラーメンの道という事ですよね。

 正直全然自分からラーメンやろうという感じはなかったんですよ。笑 本当はうどんの方が興味があった。笑 

-軽トラックで屋台へ

 さっそく入らせてもらったそこのお店は、半分中華、半分ラーメンという感じのお店で、大将も手探りのお店。けどまぁ社員としてレギュラーでしっかりやらせてもらう感じでした。けど、大将が「大鶴くん、独立したいんやったらもう1店舗くらい修行した方がいいんちゃうん」という事で、もう1店舗別のお店で修行さしてもらってる時に軽トラの屋台の話がまた舞い込んできたんですよ。笑 

 けど、もう山あり谷ありでもう、ほんまに大変やった。仕込みする場所がないから、とにかく安く場所を探し回って不動産屋に頼み込んでも「いまどき屋台なんか・・」ってリアクション。けど、「もう色々事業失敗して、自分の今後の人生の挑戦やから、力になって欲しい」ってお願いしてたら、ふつう門前払いだと思うんですけど、不動産屋のおやじがしっかり話聞いてくれるんですよね。今思えば人となりを見られてたんだろうなって思いますね。  

-「なんやお前金無いんかぃ!まぁ、ええわやれ。」で誕生した上新庄本店

 そこで、その不動産の親父が「ええぃもうわかった付いてこい」って感じでマンションのオーナーを紹介してくれたんです。それが、今の上新庄の本店です。今でも覚えています、青いグラサンに白髪交じりの角刈りのオーナーがパチンコから帰ってきたんです。笑 もう典型!みたいなおじさんで、僕が「かくかくしかじかお店貸してほしいんです!けどお金無いです!」って言ったら「なんやお前金ないんかぃ!まぁええわ、やれやれ!」ではじまったという。笑