-OPENすぐに大繁盛出来た、“10の戦略”

 最初から成功した要因ですが、6年間の修行の間にずっと溜め込んでいたネタを一気に放出できたのが大きかったですね。僕はずっとこうしたらいいのではないか、こうしたらいいでないか、と10個程の戦略を練って、それを一気に出しました。戦略の中心は“お客さんをクチコミで呼べるお店”にするためのものでした。それらを全て実現したのが大きかったと思いますね。あとはとにかく運ですね。笑

 味はもちろん自信があったとしても、それ以上に“どうしたらもっとお客さんが来てくれるだろうか”、それをずっと考えていたので、やっぱり役に立っていきましたね。マーケティングほど大げさじゃないんですけど、繁盛店をくまなく見て、なんで繁盛しているのかを研究して自分なりに戦略を立てていました。OPEN時点ですでにお客様が130人~140人ありましたね。宣伝は一切していなくて、入り口に1月11日11時からOPENするという、張り紙をしただけでした。本当は1月1日がよかったんですけど、味は完成していたのですがその店舗でやってみるとちょっと違ったので、それを調整したりしてちょっとずれ込みましたが、結果的にここにもこだわってよかったと思っています。

-高橋社長、渾身の10の戦略の一部を語る。

 戦略!と大げさに言いましたが、実際はそんな戦略と言えるほどの大それた物でもなかったですよ。少しだけ紹介すると 

① 一人のお客さんが来てもらったときに、誰かに伝えたくなる要素を持つ

 どんぶりありますよね?そのどんぶりに店名を書くのではなくて、縁には“いらっしゃいませ”を書いて、そこを海苔で隠しておくんですね。それがちょっとしたサプライズなんですけど。海苔をのけたら、挨拶。そして飲み干した人のためにどんぶりの底に完食ありがとう、50円引き!と書きました。やっぱりスープ飲み干すというのは作り手としてはとても嬉しいので、感謝の気持ちも合わせてそういう風に仕掛けました。

違うことを逆に差別化として話題にする。

⇒当時のラーメンの一般と外れた部分を逆に戦略にしていった部分もありますね。中太のチヂレ麺は当時あんまりなかったのを敢えて活用したり、逆に黒いラーメンっていうのは今までに無かったり、関西では無理だろうといわれていたのが逆にインパクトがあるだろう、という事でやっていました。

-最高に嬉しい悲鳴。初日でオペレーションが混乱。一時閉店。

 おかげさまで、初日からオペレーションが出来なくなったので、一回お店閉めました。早めに閉めて打合せしたりしながら、着実に進んでいこうと決めていました。正直そこまでお客さん来ると思っていなかったので、オペレーションの緊急事態が一番の問題でしたね。50人ぐらいきたらいいだろうという想いでやっていたのが、いきなりあと追加100人ぐらい作らなきゃいけない状況になってしまったので大変でした。前のお店から手伝いに来てくれたり、応援でバイトの子が来てくれたりしたので、どうにかまわせましたけどね。本当に感謝です。