-「絶対無理!」は「さすがきんせい!」に変わった

 それで契約したんですけど、その後にちょうどもともとの店舗の家主さんから、「向かいに立っていた大きい家を買い取ったから、タイムズにしようと思ってるんだけどよかったらこのまま残ってくれない?」って電話をいただいて。笑
 「あともう少し早かったら・・・!」って思いましたよね。でも、もう物件を契約してしまった後だったし、「しゃ~ないからどっちもやろか!」ってことになって、それで移転じゃなくてただの出店になったんですよ。笑
でも契約したその店舗はビルのどん詰まりにあるということもあり、周りから「絶対やめとけ!ここは何回商売やっても全部潰れてるから」って散々言われ続けていましたけどね。
 そういう風に言われれば言われるほど「絶対成功させたんねん!見とけよ!」っていう気持ちが強くなっていき、その気持ちを信じたからなのか、オープンを迎えてから連日のように沢山のお客さんに並んでいただいて本当に大盛況だったんです。周りのお客さんもこれにはびっくりされてました。笑
 「正直無理やと思っていたけど、さすが“きんせい”やな!」って言われた時はほんまに嬉しかったですね。

 

-本格的な店舗展開の道へ

 その店ができたのが今から6年前の2009年で、そのあたりから本格的に店舗展開という形に入っていくようになりました。きっかけは、交野店のオープンの時で、当時の社員が3人だったんですけど、この3人に早く店長をやらせたいという気持ちが強くあったんです。
 「交野店」、「きんせい本店」、あと1店舗いるなってことで当時大阪で茨木市真砂にあった「茨木きんせい」を作ったんです。だから店舗展開をするきっかけというのは、その3人に早く店長をしてもらいたかっただけなんですよ。笑

 

-増える仲間!でも転落

 どんどん人が増えて行って気づいたときには「きんせい」はもうだいぶ大きな組織になっていましたね。まあ、その後からはまた一気に転落していくんですけど。笑
 その後に頼まれたのが大阪の寝屋川市、環状線沿いにある店舗で、ここも前にいた会社のチェーン店の不採算店舗ということで引き受けさせてもらったんです。140坪で席数も50席、駐車場台数は17台の大型店舗でアルバイトも20人くらい募集しました。
 もともと大手チェーン店で働いていた子に店長を任せることにして、他に社員の子を3人とアルバイトの子たちで店をオープンさせたんですけど、始めて3日目くらいにその4人のソリがあわなかったみたいで、社員同士でいざこざが起きてしまったんです。そこで店長をしてくれていた子が辞めてしまったんです。その瞬間に一気に店の体制が崩れてしまい、結局毎月50万の赤字続きでした。

 

 

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