-組織は作るつもりはなかった。でも・・・

 僕自身もともとは会社組織に属していたんで、組織ならではのネガティブな部分を少なからず知っていたし、自分では組織を作らないでいようと思っていたんです。でも、たまたま前に働いていた会社の元上司が、会社の不採算店舗があることを教えてくれて。
 ロードサイドで当時の売り上げが200万いくかいかないかの業績の店舗だったんですけど、「そこを引き受けてくれへんか?」って頼まれたんです。
 正直、人手もないし店を任せる相手もいなかったんですけど僕の悪い癖で、「なんとかなるやろ!」って引き受けてしまったんですよ。笑

 

-「JUNK SRORY」の井川くんとの出会い

 引き受けてからどうしょうかなって悩んでいる時に、今大阪の谷町に店舗をかまえている「JUNK STORY」の井川くんが当時京都でラーメン屋を失敗して、「行くところがない・・・」ってことで、その時にたまたまうちの枚方の家で寝泊まりしてたんです。
 だから、「そこの店長としてやってみないか?」って話をもちかけたんですよ。彼も「僕でよければやらせてください!」って言ってくれて。後は求人をかけてスタッフを集めることができたらなんとか形にできそうだなってことで始めたんです。
 もともとは買い取りになるはずのその店舗も、僕がそこの会社の出身ということもあってか、社長のご厚意でタダで頂けることができたんです。運がいいというか、本当に感謝しかないですね。

 

-優秀なスタッフと運で店舗展開が始まった

 店舗展開としては、弟子をのぞいてはこれが初めてだったんでお金もかけたし、他にもいろんな面で相当な手をかけましたね。その甲斐あってかスタッフも優秀な人材ばかり集まってくれて、無事に店をオープンさせることができました。ただ場所的に人口が少ない物件だったんですよ。
 大阪の交野市っていう場所なんですけど、実をいうと僕その前の会社にいた時にそこの店舗の店長として1度働いてるんです。しかもオープニングスタッフとして。すごい巡りあわせですよね!笑
 だから、実績数値も知っていたんで、正直不安は大きかったんですけど、撤退するのにも200万はかかるし、「絶対にうまくいかせないと!」って。その時のことは今でもはっきり覚えていますね。

 

 

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