-最後尾が見えない行列で警察沙汰になるほどに

 そこの店舗は近くに駐車場もコインパーキングもなかったんですよ。大阪の高槻の栄町というところなんですけど、駅からお店までも結構な距離があったんで、来られる方はどうしても車になってしまうんですね。道も狭かったんで、近所から路上駐車などのクレームがきてしまって・・・。
 毎日のように警察の方が来られていました。それぐらい繁盛していましたね。行列の後ろがどこまで続いてるかすら見えなくて、何人並んでいるかすらわからなかったですもんね。笑
 昼でも夜でも行列で、店が開く前からお客さんの声が聞こえていて、嬉しいことなんですけどその声を聞く度にプレッシャーで心臓が痛くなっていましたね。店を開けてからもお客さんは減るどころか逆に増えていくんですよ。笑

 

-「JET600」山本との出会いに助けられた

 さすがにやばいなと思っていたちょうどその時、大阪の福島にある現在は「ラーメン人生JET600」を経営している山本が「僕の店を手伝いたい」って言ってくれたんですよ。 最初は土日だけ手伝ってもらっていたんですけど、たまたま大阪の玉造でいい物件が空いたっていう話を聞いたんで「お前、やってみいひんか?」って山本に言ってみたんです。
 そしたら二つ返事で「やります!」って言ってくれて。もともと山本は商売の才能があったし、「こいつならすぐいけるやろ」っていう自信もあったんで、それからは土日だけだったのを1ヶ月みっちりラーメン作りのノウハウを叩き込んで無理矢理やらせましたね。笑
 山本は思った通り大成功してくれました。でもプレッシャーは本当に半端なかったと思いますよ。オープンの日に手伝いにいったんですけど、店が開く前から何十人っていう行列ができていましたからね。

 

-「きんせい」が大阪市内に誕生

 当時の店の名前は「東成きんせい」で、市内に出したことで同じ市内に住んでいる方や、東大阪の方など今まで遠くて食べに来られなかったお客さんたちがすごく喜んでくれたんですよ。「これで遠いとこまで行かへんでもすむわ!」ってね。
 その店ができたことで、高槻の本店の店のほうも客足が少し落ち着いてきて、うまくバランスがとれるようになってきました。
 それから3年後、山本が出した2号店が今の「ラーメン人生JET600」なんです。彼は僕の店から初めて巣立った弟子だったんで、彼がいなかったらもしかしたら店舗展開もできてなかったかもしれないし、出会いって本当に大切だなと思いますよね。

 

 

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