-追求に追求を重ね完成した「燻製鶏塩ラーメン」
でも、そんな状況でも探求心だけは強くあって、何をしたらお客さんの求めるラーメン屋になれるのか毎日のように考えていましたね。庄司さんからもアドバイスをいただいたり、いろんな追求をしていって思い出したんです。そういえば燻製がうまかったなって。笑
僕キャンプが好きで、その時作った鶏の燻製がすごいおいしかったんですよ。そこで、「それをラーメンに入れたらうまいんちゃうんかな?」って。それで完成したのが「燻製鶏塩ラーメン」だったんです。
-3年のどん底の生活から抜け出せた
庄司さんも大絶賛してくださって、さらに口コミでも徐々に広まっていって、お客さんもどんどん増えていきました。それに加えて、もともとの豚骨ラーメンを出していた時のお客さんからも「週に1回でいいから豚骨ラーメンの日を作って欲しいって」声をいただいたんです。
だから毎週金曜日だけ、豚骨ラーメンを出すことにしたんです。その結果、嬉しいことにそうすることで1度離れて行ってしまったお客さんも徐々に戻ってきてくださったんです。
どん底の時期が続いて3年、そのあたりからやっと家族を養っていけるくらいには稼げるようになりました。本当に安心というか、嬉しかったですね。
-「関西1週間」の大賞に
そして2004年の12月、当時講談社さんから発売された「関西1週間」という雑誌でラーメンの特集が組まれていて、そこでうちが大賞に選ばれたんですよ。笑
正直、自分のラーメンにそこまでの自信はまだなかったんで、「辞退させてもらえないか」って1度お願いしたんですけど、みんなの声で決まったことだから自信を持ってやって欲しいって言ってもらえたんです。夢みたいでしたね。ああ、自分のラーメンはこんなに世の中の人に受け入れられているのかって本当に感動しました。
それで発売された雑誌には表紙と見開きの2ページに自分の作った「こだわりの塩」のラーメンがでかでかと載っていて、そこで改めて自分のラーメンが大賞をとったことに気づかされましたね。
-掲載から大ブレイク!大忙しの日々に突入
でも本当の意味で気づいたのはその後で、雑誌に載った瞬間から店が爆発的に大繁盛したんです。それまでは、土日の忙しい時でだいたい100人いかないくらいの客数だったんですけど、それが一気に200人っていう今までの2倍になって。笑
その時も従業員は僕と嫁の2人でやっていたんで、ありがたかったですけど本当に大変でしたね。
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