-中華料理屋を断念!ラーメン屋へ転換

 初めは困りましたね。でもその時「中華料理は作れない、それならラーメン屋をしたらええやないか!」って思ったんです。笑
 それで2001年にラーメン屋として店をオープンさせたんですけど、はじめた当初はチェーン店を意識というか見本としてしまっていて、ラーメンのかえしタレは業務用のタレを使って、薄めの豚骨ラーメンっていうほんと今思えば“しょうもない味”でやってたんですよ。それでも関西人にとって馴染みのある味なのか、お客さんはそこそこついてくれて、ありがたいことになんとかやっていけてましたね。

 

-こだわりのラーメン屋台頭!そして「麺哲」庄司さんとの出会い

 その頃から少しずつ和風ラーメンのラーメン屋が新店で出てくるようになってきて、有名なところでいうと「一心」さんや「麺や輝」さんなどの、化学調味料を一切使わない和風ラーメン、そして自家製麺、という本当に1からこだわったラーメンを出すラーメン屋さんが増えてきたんです。
 自分とはまったく違った真逆のラーメンを出すラーメン屋さんが多くなって、自分のラーメンに疑問を持つようになっていた時、僕にとって衝撃的だったのが、いまの「麺鉄」の庄司さんとの出会いでした。

 

-庄司さんのラーメン作りに感服

 当時の僕はラーメンの業界についてまったくと言っていいくらいに何も知らなかったので、庄司さんのこともラーメン好きでその業界にも詳しいお客さんに「すごい人がいるから1度会っておいたほうがいいよ!」っていう感じで紹介していただいたんです。その後、庄司さんがわざわざ店まで僕のラーメンを食べにきてくださって、そこで言われたんです。「麺もスープもダメ・・・」って。笑
 実際に庄司さんが働いている厨房に行かせていただいて、製麺をしているところや調理技術などいろいろなものを見せてもらったんですけど、本当にそれに感服してしまったんですね。

 

-電話も電気も止められる事態に

 「このままじゃだめだ・・・!自分も1からこだわった和風ラーメンをつくろう!」ってそれを見て決めたんです。そこで味を根本からガラっと変えて、今までとは全く別のラーメンを作ったんですけど、味の変化に馴染んでもらえなくてお客さんも変化してしまったんですよね。
 今まで来ていてくれていたお客さんも離れていってしまって・・・1日3人、4人しか入らないような日が増えていきました。そのうちお金もどんどんなくなって、家のローンは払えないし、電話は止められるわ・・・電気は止められるわ・・・で1年くらいはずっとそんな状態が続いていました。

 

 

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