中華料理屋で5年の修行した後に、幼少の頃から大好きだった大手ラーメンチェーン店で勤務。その後、ラーメン屋を開業し独立を果たす。
 麺哲の庄司さんとの出会いをきっかけに「燻製鶏塩ラーメン」を開発し一気にブレイク。苦難を乗り越えながら店舗展開を成功させ、現在では老舗のラーメン屋「きんせい」という知名度を築いている。
 大阪で繁盛ラーメン屋と呼ばれる弟子たちも輩出している。

株式会社きんせい
代表取締役 中村 悟 氏
経営店舗:彩色ラーメンきんせい総本家 夢風、きんせい高槻駅前店、茨木きんせい、交野きんせい 浪越商店、中村商店 高槻本店、中村商店 南茨木、GAGA中村商店、布施 細見商店

 

-ケガで野球を断念・・・中華料理の道へ

 もともと僕は和歌山の田舎の出身で小さい頃からラーメンが好きでよく食べてたんです。野球部だったんで、中学を卒業して高校の進学のときに推薦で兵庫県の高校にいったんです。しかし、肘を怪我してしまいドクターストップがかかってしまったんです。「もうボールをなげるのは難しい」って医者の先生に言われて、それで野球を辞めたんです。それから高校を卒業して仕事を探して。
 たまたま求人の広告が出ていた中華料理屋に面接に行き、そこで3年間修行させてもらいました。その後2年間の丁稚奉公をして、そこでは約5年お世話になりましたね。その時から自分ができる仕事は何かいろいろ考えてはいたんですけど、はっきりした答えはでなくていろいろな仕事を転々としました。

 

-最後にたどり着いたのはラーメンだった

 結局、そこでたどり着いたものは、幼い頃から食べていた「ラーメン」だったんです。そして23歳の時にラーメン業界で大手の「イートアンド」という会社に就職して、そこの「ラーメン事業部」で働くことになりました。
 そのラーメン屋の現場で3年間店長職をさせてもらって、そこからは現場を離れてスーパーバイザーとしてマネジメントの仕事をさせてもらうようになったんですが、僕は商売がしたかったし、やっぱりラーメン屋という現場が好きだったんで、どうしても自分の「管理職」という立場での仕事がなじめなかったんです。

 

-嫁と2人で中華料理屋で独立開業

 昔から独立願望も強く、今までの中華料理屋での修行を活かせるチャンスかもしれないと思って、この機会に嫁と2人で店を開こうと決めたんです。僕が31歳の時でしたね。
 そして物件も決まって中華料理店を始めたのはよかったんですが、たまたまその借りた物件のガスの容量が足りなくて、中華料理を作ることができなかったんです。それを大家さんに説明してプロパンガスの設置をお願いしたんですけど、「危険だからやめてほしい」って言われてしまって・・・。

 

 

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