-無理を言って始めたラーメン修行

 そして、3年ぶりに行ったら、とりあえず「会いに来たら?」とは言ってもらえたんですが、修行を申し出ると、今はつい最近、別の弟子を一人とったばかりで更に弟子をとる余裕がないので少し考えさせて欲しいと初めはいい返事はなかったんです。

 そして、しばらく無職になったんですが、諦めきれなかったので、河原にテントを張って、10日くらい通いつめました。迷惑な話ですよね。ほんと。笑

 そしたら、店主から「人を雇う余裕はないけど、そこまで言うんだったら勉強したらいい」と受け入れてもらうことができたんです。

 ただ、鉄鋼関係から畑違いの飲食だったので、初日からいっぱい失敗をしたりして、なかなかそう簡単にはいかず店裏で一人悔し涙を流したこともありました。でも、お客様がすごく幸せそうに笑顔でラーメンを食べている姿や帰り際の「美味しかったよ。頑張ってね」という言葉も励みになりました。

 そして5年間の修行を終えて、1998年29歳の時に奈良で無鉄砲をオープンしました。

-立地が良くない場所で開業

 その頃は奈良で本格的なとんこつラーメンを作る店はなかったので、オープン当初は「白菜を入れた方がいい」、「こんなどろどろのスープでは1年後には潰れる」、
「1ヶ月はもたない」とか色々言われました。でも、逆にそれがバネにもなりましたね。そして1ヶ月と1日経過した時は、そのお客様が言われた通りに潰れなくてよかったと内心思いました。

 立地が良くない場所で開業したのは人があまりいない場所の方が楽しみが大きいし、お客様が来たら、みんなが注目するし、あまり人がいなくても、それは当り前なので、プレッシャーもないですから。そういう風にのびのびと豚骨に集中してしっかり豚骨とお客様に向き合ってラーメンを作るのが好きなんです。

 オープン時は今よりも周りには何もなかったし、水とか空気とか周りの景色の力も大きくて、時間を忘れる空間でのんびりしている方が純粋に食事を楽しめるとも思ってたんです。だから、今もそういう立地にすごく魅力を感じます。

 そういう不利な立地でやるのには理由があり、骨とか食材、味に妥協したくなかったからです。家賃で苦しむとどうしても味で勝負しづらくなるから。味で勝負できれば、お客様を引っ張ることはできると思っています。

-ひたすら貪欲に攻め続けた日々

 僕はオープン前、オープン当初から貪欲でしたね。オープン前は店先で1週間段ボールに6月7日オープンって張り紙を持ってあいさつしながら立っていました。

オープンしてからは道路沿いで外から中が良く分かる店だったので、暇な時はカーテンを閉めて、お客様が入っていたら、カーテンを開けて、イメージを良くしていました。

 また、お金がない時は、何とか食べてはいける、お腹が空いたら自分のお店のラーメンを食べられるだけでも幸せだと思って、常に思い切ったことができていました。怖いと思ったことはありませんね。

 今振り返ると15年間もあっという間でした。潰れると思ったことはないんですが、色々な縁で応援してもらったから今があります。自分の力でここまで来たとは微塵も思っていませんし、運や縁などが重なったから、今があるんだと思います。

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