-馴染めないサラリーマン生活

 でも、幹部になった時に下と上の絡みがあって大変で・・・自分はやっぱり商売人の息子というのもあったので「やったらやった分だけお金をもらえる商売をしたい!」と思い9年くらい務めたんですが最終的にはサラリーマンを辞めました。

 しかも退職金は22万円という・・・。

-30歳からラーメン業界へ

 その後、ラーメン屋さんで働き始めることになるんですが、自分の作ったラーメンをお客さんに食べて喜んでもらえるっていうのはもちろんあるけど、本音として自分が働けなくなった時にどうやって食べていくかもやっぱり考えるわけですよね。>

だから、自分が老後を迎えるときに可処分所得も1年で1000万円はないとやっぱり将来は大変な生活になってしまう・・・と。

何かを得ようと思うと何かを犠牲にしないといけない部分もあるし、その辺はしっかり考えていましたよね。その時はラーメンをよく食べに行っていたので、自分の中では「ラーメンでのし上がってやろう!」という想いが強くなり、30歳を過ぎて初めてラーメンをやり始めたんです。

-「麺屋こうじグループ」で修業開始

 僕は「麺屋こうじグループ」を選んだんですが、それは「麺屋青山」というラーメン屋さんが自分の好きなラーメンで、そのラーメン屋さんは「麺屋こうじグループ」の独立支援システムを使って独立していたこともあり、実績もあるので「ここだ!」って思ったからです。

 ラーメン屋さんの仕事はキツイっていう人もいますけど、僕は全然キツイっていうのは全くなかったです。やっぱり、店長になると自分の好きなことができるし、限定ラーメンを勝手に自分の好きなように作れるし、独立支援システムは「自分のお客さんは自分で作っていってね」という感じだったんで、それが自分的にはすごいよかったんです。

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