-運命を感じた“原点の日“に社長へ報告

 河原社長に辞めることを伝えるのは辛かったですけど、どうしても外せないなっていう運命のようなタイミングがありましてですね・・・

 河原社長の“原点の日”っていうのがあったんですよ。店舗で社長と1日一緒に働く日なんですが、その“原点の日”っていうのが、長堀店でありまして、それは僕が大阪で初の「一風堂」をグランドオープンしたお店だったんです。さらに、このその“原点の日”は4月6日で、この4月6日という日は僕の親父の命日なんです。これはもう運命って思うでしょ?笑 

 だから、「もうこの日しかない!」と思って、その日のOPEN前にカフェで社長に言いました。もうその時に僕に迷いはなかったですね。

-最高の円満退社!自分は幸せ者だ

 社長はビックリしていましたけど、自分が一方的に勝手に言っているのも良く分かっていたので、「辞めるタイミングは任せます」と伝えました。そして、多くの方に理解をいただいて、4月に伝え、6月いっぱい働いて2か月後に辞めました。実は嫁にも言ってなかったですけど。笑 

嫁も「解った!」って、そんな感じでしたね。

 実はこの“まんかい”の壁の手形をモチーフにした桜吹雪の模様は、その時の仲間が、くれた手形です。大きすぎるとリアルなので小さくしてデザインしてもらって、ここにみんなの名前も頂きました。協力してくれたみんなへは本当に感謝です。今でもほぼ日替わりで「一風堂」の誰かが来てくれるんですよね。本当に僕は幸せ者です。

-新たな人生のスタート。“まんかい”始動

 この屋号の“まんかい”の由来なのですが、4月6日の親父の命日の日、病室がちょうど南側の3階で、親父が小さくなっていくにつれて3階部分からちょうど見える満開の桜。それが散って行く姿が、とても印象的だったんですよ。

 それがいったい何を意味しているんだろう、拍手なのかな、涙なのかな、って・・・その時から僕は忙しく生きてきましたから、桜もちゃんと見たこと無かったんですけど、親父が亡くなってからは桜を見るようになりました。

 だから、この “まんかい”っていう屋号は桜が開く満開のことなんです。満開の桜の木の下に集う人たちには“争い”という言葉は全く値しない。まさに“平和な光景”っていうね。

 寒い冬を乗り越えた家族と一緒にごはんを食べて、温かいそのムードがまた素敵ですよね。そういう光景がこのお店の中で見られたらいいな、って思って、お店の名前を“まんかい”と名付けました。