-2年間の海外担当も経験できた

 僕もアメリカに行きたかったんですけど、「日本はどうするんだ?」という話で僕は日本に残って、遠方から支援という形で行ったり来たりする生活が始まりました。その後もシンガポール、韓国、香港、それで台湾、中国と展開していき、2年ぐらい海外担当になってずっと出張の毎日でしたね。

-周りの仲間の成長が何よりも嬉しかった

 今までいろいろ自分の過去を話している訳なのですが。 

 僕は色々なお店のステージに立たせてもらって頂いた中で一貫していたことが、仲間が成長していく姿が大好きだったことです。

 本当に飲食業界には色々な奴が来ますよね。もちろんどうにもならなさそうなナナメの奴もいたりする。でも、僕自身がどうしようもない奴だったので、ナナメの奴ともちゃんと向かい合ってきました。

 やがて、みんなが憧れる立ち位置に行った子もいるし、取締役になった子もいるし、ニューヨークのゼネラルマネジャーになった子もいます。一緒にお店でチームを作ってきたあの仲間達がそうやって活躍していってる姿が僕にとっても嬉しいです。

 “自分に任せてくれ!”という自信に溢れているあの子たちの姿が僕はとても誇らしくて凄く嬉しいんです。

-マネージメントなんて至ってシンプル

 僕なりのマネジメントの方法としては、個人的に自分に合わないと思うタイプの子が居たとしても自分に限界を作らないように、意識して1人1人としっかりとコミュニケ―ションを取る、それに尽きますね。僕のスタイルはいたってシンプルですよ。「トイレは綺麗にね」とか、「挨拶はきちんとしようね」とか、「寸胴はピカピカに磨こうぜ」とか、僕は何もできないので、僕が出来ることをしっかりと見せてやることで、色々な仕事に対する姿勢を伝えてるんですよね。

 動機は単純で“綺麗な方がかっこいいじゃない!こっちの方がかっこいいなじゃない!”みたいなね。

 あと必要な忍耐で言うと、自分で考えて行動できるように、若い芽やモチベーションを摘んじゃ駄目だなってことは意識してます。

 例えば、“あ。これは失敗するやろなぁ~”ってわかっていても、ちょっと黙ってみておこうとか、そういうことはずっと意識していました。そうしたら、みんな自発的になっていくんです。

-楽しい「一風堂」人生の中で1つだけキツかったこと

 「一風堂」での毎日は楽しいことばかりだったんで、キツイこととかしんどいこととかはなかったんだけど、敢えて当時の僕にとってたまらんかったなって思ったことは取締役になってきたら、現場になかなか入らなかったことが間違いでした。

 現場に自らが入れたのに入っていかなかったこと、さらに言えば入りたかったのに、入らなかったということが僕の一番ミスジャッジだったことかな。現場を離れて行ってしまったことが辛かったですね。