-美味しいなぁ、美味しいなぁって食べてくれた憧れのお店の大将。

 その時に中村さんが「美味しいなあ!美味しいなあ!」ってわざと周りに聞こえるような声で食べてくれて、あとでまた来るわって小声でちょっと言ってくれて、それで店1回真ん中で閉めた時間に寄ってくれて、「良いもの使ってる子はやっぱ応援したいからな」ってね。俺もその頃は、平田牧場の三元豚っていうブランド豚を佐野さんも使ってたっていうから、「どうやったら手に入るかな」って自分なりにルート作ってね。裏通りのラーメン屋でも他の人らがよう使わへんようなものを何か使わんと絶対あかん!理由がないとお客さん来てくれへん!っていうのは分かってたから。

 それからも中村さんには、飲食に対する姿勢とか教えてもらった。やっぱり言霊ってあるやん。いい言葉を発せへんといいスパイラルって来ないやろ。ネガティブなこと言ってたら負のスパイラルってあるやんか。それをよく言われたよね。「今日も暇でしたわっ」て食べに行ったら、「お前なぁ貧乏神連れてくんな」言うて、「ええ話あったとき、うちに来い」って怒られたりね。

-ラーメンデータバンクの大崎さんが酷評、けど応援してくれた大将。

 そして初めて、今はラーメンデータバンクの会長してる大崎さんがうち来てくれた。居酒屋「ながほり」さんが無理矢理に週刊ポストのライターさんにゴリ押しでお願いしてくれてね。だから、あの記事は今でも大事に取ってるけど、それ見て来てくれたみたい。

 大崎さんは本当いろんなとこ食べてるから、もう歯に衣着せぬタイプではっきり言いはるんよ。「いや美味しいんですけど正直、私には響きませんでした」とか。でも、その週刊ポストのライターさんと知り合いやったから、「私2杯食べることないんですけど塩も1杯お願いできますか?」って言うから「そうなんですか」って出したら「塩もっとダメですね」ってね。

 そのときから無化調でやってたから、もう本当に塩のお湯割りみたいなスープやったもん。だから「塩もっとダメですね」って言われて、その日はもう悔しくて、最初はぼやく気はなかったんやけど、「ながほり」さんも大崎さんのことは名前は知ってたから「2杯食べてもらってだめでしたわ」って言ったら「もっと頑張れ!東京に絶対負けたらあかん」って言って励ましてくれたんや。

-佐野さんが、“唸った一杯”に選んでくれた。

 ある日、「あのガチンコの佐野さんって来たで」って。「えっ」とかってなって、はっと思ったら座ってて。もうびっくりして、俺そのときに「麺何秒ゆでたかな?」なんてもう頭真っ白になって、その後挨拶したね。で、「なんでこの豚が手に入ったの?」って。

 その三元豚、佐野さんも使ってるでしょ。でこうこうこうで、あ、そうって。そんときは食べてさっと帰られて、それでその秋ぐらいに講談社の『フライデー』の裏の見開きに佐野さんのコーナーで「オレが唸った一杯」っていうのがあって、そのシリーズで大阪で「洛二神」さんとうち選んでて。「やっと大阪でいい食材を使うチャレンジャーな新人が出てきた!」いう見出しでうちを取り上げてくれた。ただ、いいものを使うだけじゃあかんねんぞって。なかなか手厳しかったけどね。

 本当、人生は人との縁やって思う。本当あの頃っていうのは偶然だと思ってたけど、本当にきちんとした人とお付き合いしてたらやっぱりいい流れになるんやろなっていうのを今は思うけどね。

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