-13年の化学メーカー勤めが今のベースを作った

 高校を卒業して、ちょっと家庭の事情で父親が早く体壊したりして、どうしても家にお金を入れないといけないということで、一応東証一部の化学メーカーに就職できたんや。手堅い会社だったけど、その代わり現場で化学プラントで酸とアルカリを反応させたりとかしてた。だから、一つ違ったらえらい事故になる仕事やったんやね。

 だから俺は、危険物の乙4とボイラー2級はまだ持ってるし、まだずっと更新しとる。ある意味危険物を扱う仕事を高校卒業して13年間ずっとしててんけど、そう考えると食べ物もお客さんの命預かってる部分では一緒やと思う。だって、今でもちょっとしたことで、ノロウイルス等ですぐマスコミが騒ぐから明日は我が身なんやけども、とにかく食べ物をお客さんに提供するってのは、イコールお客さんの命預かっとるようなもんやから、ある意味同じような仕事やと俺は思ってるよ。

-次使う人の事を考える“いつも綺麗な現場”という意識。

 それで、ラーメンが好きやったから、「そんな好きやったらちょっとお金だしたるからラーメンやらへんか」とか、そんな甘い話もあって、でも、どんな小さな店でも自分がオーナーシェフじゃないと好きなことはできないなっていうのはずっと思ってたね。

 そういうのを我慢しながら13年間ずっと上場企業の化学メーカーのプラントで働いてた。3交代の現場やったから、自分が入る時と出る時の前後に常に人がいるわけ。24時間を3で割ってるからね。だから、例えばそういう仕事じゃなかったら別に自分の机が散らかっとろうが自分の使う道具が汚れようがあんまり言われることないけど、常に引継ぎがあって同じ机を使うから、絶対きれいにしないとあかんかった。

 そういう状態でずっと13年間揉まれてきたから、ものすごい俺はそのサラリーマン時代に、社会人としての訓練はしてきたと思う。

 だから、俺はいいタイミングで業界に転身できたなっていう気持ちがあるよ。例えば、若いときに一般常識もわからんまま勢いだけで出てたら、今はないと思うしやっぱり基本的な人間性ができとかんとダメだと思う。だから本当に13年の化学メーカーでベースが培われたからこれは大きいよ。あの会社に勤務してたことは感謝してるよやっぱり。

-衝撃が走った一杯のラーメン!

 そのサラリーマン時代に、佐野実さんのお店「支那そばや」が神奈川県の藤沢の鵠沼(くげぬま)いうところにあったの。その時、ラーメン屋さんで名古屋コーチンを使ったスープで、豚は高座豚って言って中ヨークシャーって幻の豚でチャーシュー作ってて、自家製麺やってて、味玉は名古屋コーチンの卵でしょ。こんな楽園あるのって感じで。俺ただでさえ職人に対して興味があったから、ラーメン好きやしこんなんでスープとって麺作ってチャーシューはこんなの食べて、そんなすごい人いるんやなと衝撃を受けた。時代もまだ96年とかその辺りだった。 

(平成26年4月11日 佐野実さんは永眠されました。謹んで哀悼の意を表します。)

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