-1個のお玉を買いに行く暇さえなかった独立して半年間

 OPENして半年は無休で、9時ぐらいには現場に入って仕込みして、夜中の2時半まで営業して、そこから3時間ぐらい製麺して、そしたら寝る頃には朝5時~6時ぐらいになって、8時半には起きて行かなきゃいけない・・・そんな感じだったので、もうお玉1個買いに行く時間もなくて・・笑 親方をパシらせざるを得なかったんですよ。お玉買ってきてもらったり、18センチの寸胴買ってきてくれたりしてくれましたよ。

 けど、1年ちょっとはもうほんと全然お客さん来なくて本当に焦りました。生活はギリギリでしたね。正直。けど、くじけたらあかん、やらなあかん、スタートラインに俺はやっと立てたんや、という気持ちの方が強かったですね。

-テレビの取材をきっかけに徐々にお客さんが増えた

 1年ぐらいかけて、自分が最初に教えてもらったラーメンを自分なりに作り上げていって、親父さんの味に少し近づけたかな・・・っていう時期にテレビがポンと入ったんですよ。初めてのテレビの時に昼の13:50ぐらいの番組に数秒だけ出て、こんなんでお客さん来るんかな!?思ってたら20人ぐらい並んで、このチャンス逃したらあかん!って思って、そのラーメンを1杯1杯ちゃんと届けて、また来てくれたらええな、友達連れてきてくれたらええな、っていう想いが実って、少しずつ忙しくなっていきましたね。あれからですね。徐々にじわじわ上がっていったわけじゃなくて、ボカーン!っていきなり伸びた感じでした。

-福島にJETをOPEN!2店舗目を出店

 3年ぐらい「きんせい」やったら、あとは自由にしたら?って言われていたんですよ。結局、「きんせい」を4年半ぐらいやって、物件のこともあったし、玉造という場所で探し始めました。いい物件がずっと無くて、ばーっとずっと見てたらいい物件が1つ福島にあったんですけど、玉造でやりたいのになぁ、って思いながらも見に行きました。

 そしたら、なんかピンと「ここやったらいけそうやな」って想いが出て、すぐにその物件に決めてJETをOPENしました。店長とも色々話していて、東成「きんせい」をいったん閉めて、福島でJETやる?と言っているうちに、けど玉造のお客さんに支えられてきたのにな・・っていう話があって、玉造に店長残して、俺が福島行って、2店舗でやるか?という話になりました。

-移転で東成「きんせい」からラーメン人生JETへ

 それでも引き続き玉造の物件を探していた時に玉造のJET600の物件が見つかり、東成「きんせい」からこちらに移転する時に、ラーメン人生JET600に名前が変わりました。福島の店舗が出たときから1年ぐらいですね。

 けど、やっぱり福島のお店も半年ぐらいは暇でしたね。その時は結構スタッフに支えてもらっていたので、最初東成「きんせい」をOPENした時に比べたら楽でしたけどまぁ、最初は暇でしたね。

 JETの名前の由来は、本当に何もあまり考えてなくて、響きと自分の好きなものによく“JET”ってよくついていたので、JETにしようって思って、けどかっこつけすぎちゃう?って思ってラーメン人生?めっちゃださいやん!って中和させてこんな感じです。笑