-大将から声をかけられ「よっしゃぁ~!」の歓喜の叫び

 くすぶってた時期がほんと長かったので、「きんせい」の中村オーナーが「来るか?」って言われた時は、爆発しましたね。「よっしゃ!!」って感じでめちゃくちゃ嬉しかったんです。当時の僕が29歳ぐらいでした。

 最初は皿洗いで、徐々に商品とか食材を触らせてもらったりとかさせて頂いて、徐々に、徐々に、って感じですね。すごいラーメンってやっぱり手間がかかるものなので、全くの素人の僕が覚えるのに時間もかかりました。トントンとは行けませんでしたよ。ちょっとずつちょっとずつ覚えていった感じですね。僕実家が居酒屋なので、高校の時はアルバイトをしていましたし、けど仕事も転々としていたりしましたね。商売人の家は家でしたね。うちの親父もすごく商売人でしたね。なので、自分で店をやるっていうイメージは凄いあったのと、周りも起業しているのが多かったので自分が取り残されている感じは凄くありましたね。自分で何かをやりたい。お金どうこうじゃなくて、上に立ちたい!みたいな気持ちが強かったですね。

 なので、ラーメンがとにかくやりたかったわけではなかったんですけど、色々考えているうちに、俺好きなラーメンあるやん?って気が付いた感じでした。28歳~29歳って遅いんちゃう?って不安もあったんですけど、大将に声かけてもらった瞬間よっしゃー!って感じでしたよ。

-いきなり繁盛ラーメン店の看板を背負った

 トータル「きんせい」で修行したのは数ヶ月ぐらいで、それから玉造で東成「きんせい」というラーメン屋さんを持ったんですよ。フランチャイズじゃないけど、「きんせい」の名前を借りて商売をさせてもらった、という感じでやりました。一番最初に高槻に「きんせい」が1店舗しかなくて、大行列店だったんですけど、それを僕みたいなよくわからん人間に、「やるか?」ってその名前を借りさせてくれるって、正直「重たいな!」って思いましたよ・・プレッシャーは大きかったですね。

 当時はやりたい、っていう気持ちはありましたけど、自信は無かったので。けど、やらないという選択は無かったので、「やります!」の二つ返事でやりました。全部一から教えてもらって、やりました。

 でも、初日なんかシャッター開けたら行列出来てて、すげぇな、さすがやな、「きんせい」・・って思いましたよ。

 けど、1ヶ月ぐらい経った頃からお客さん減ってきて、食べて側の人にどう感じ取られているのかって気になったので、ネットで調べたりとかしていたら、まずい、あんなの「きんせい」じゃないとかもうボロカスに書かれてたんです。

 今考えると、そんなん言われても仕方ないラーメン作ってたかもなって思いますけど、洗礼を浴びましたね。