-1個のお玉を買いに行く暇さえなかった独立して半年間

 ラーメン屋さんで修業していろいろ覚えていくことを、僕の場合は自分の店をOPENしてから知っていくことになるって状態でした。実際にお客さんから味が違うって指摘されて店も閉めたこともありますよ。でも、結構早い段階で繁盛してきたんです。数ヶ月後には1日4時間しか営業してないのに1日50人~60人のお客さんが来るラーメン屋になって1人で回せなくなって、奥さんと2人でやって、1年後には弟にも手伝ってもらって3人でやってましたね。

-偶然の演出が功を奏して繁盛ラーメン屋の道へ

 関西では食べたことがないラーメンだったし、何故か夜の8時からしか開かないラーメン屋っていうのもよかったのかもしれないですね。僕は単純にサラリーマンをやりながらラーメン屋をしていたから、その時間からしか店を開けれなかっただけなんですけどね。それが反って「あのラーメン屋ってめっちゃこだわってんちゃうん?」みたいな感じになったんかなぁ~って思います。

 それに、大学が近くにあったのもあると思います。当時ラーメンナビみたいなのがあったんですが、男盛りっていうようなラーメンもなかったので、完食してくれた人が写メールをとって共有してくれたりで、8時前には行列ができるようになってきたんです。それに噂が噂を呼んで、テレビ局が取材に来てくれたんです。そのテレビ効果が尋常じゃなくて10時頃には50人の行列ができるという状況になりました。

 だから三田の店は順調だったと思います。

-お客さんに喜んでもらいたい一心だった

 でも、お客さんと向き合うことは全力でやってました。例えば、お客さんが食べ残しをした時には、追いかけて行って「何かありましたか?何か悪い部分があれば教えてください」っていう具合でした。やっぱり自分がお客さんに喜んでもらいたいっていうために体を張ってやってましたからね。あの当時はサラリーマンをしながらラーメン屋もやっていたので、1日3時間くらいしか寝てなかったのにできた理由はやっぱり、お客さんに喜んでもらいたいっていう気持ちだと思います。

-2年経った頃にやっとラーメン1本でやっていけるようになった

 奥さんと初めにラーメン屋一本でやっていくのは、サラリーマンの給料とラーメン屋での給料がイーブンになったらという約束をしていたので、2年くらいはかかりましたね。お金が残るかっていうと全然残ってはいなかったですけど、これをしっかり原価計算してやればいけるってなってからラーメン屋1本でいけるようになりました。

 それまでは、朝電車のって会社いって夜帰ってラーメン屋をやって片づけして寝てっていう感じの生活でしたからね。