-大将から即答で厨房機器を購入。もうやるしかない!

 その店をたたむ時に大将が「この店にある厨房機器を買い取ってみるか?」て僕に言ったんです。しかも、その時僕も自分の地元の神戸でこだわりのラーメンが出せたらおもろいやろなぁ~って思ってたんで、即答してその厨房機器を買い取りました。だから、買い取ってから「どうしょうかな?」って言うような走り出しやったんです。レンタル倉庫も借りてその厨房機器を詰め込んでって感じでしたからね。

 でもぶっちゃけて言うと、僕ってやり始めたらドンドンやるタイプなんですけど、腰の重いタイプっていうのもわかってたので、やらざるを得ない状況に追い込んだんですよ。だって、厨房機器を保管するレンタル倉庫代もかかりますし、これは早よやらなあかんって感じになるでしょ?でも、ラーメンの経営もやったこと無いから、ラーメンの経営本を買ってそれを見ながら一歩ずつその経営本の通り実践していきました。

-1号店目の物件に出会って電流が走った

 それと同時に物件を探して6ヶ月後ぐらいに、今の三田本店の物件に出会ったんです。あの物件だけは、見た瞬間にビビビッてきたんです。行列ができてるイメージが湧いたんです。まさに、ここや!って電流が走るって感じでした。

 屋台風でボロイ店やったんで、一人でやっていける家賃やったし、めっちゃいい物件だと思いました。内装や電気などの工事も知り合いにお願いして安くやってもらって、自分らでできることは自分らでやってという感じでしたね。メニューも手書きで簡易に作ったりとかしてましたよ。

-最初は何もわからなくて原価率が60%を超えていた

 開業の資金は、僕も将来何かやりたいっていうのがあったんで、結構貯金はしていました。5、6年くらいはコツコツ貯めていたんです。だから、ラーメン屋を開業した時も借金もない状態だったんですよ。それが良かったところで、最初は全く何もわからない状態だったんで、利益を追求したことが無くて原価率が60%とかになってたんですよ。単純に、お客さんがどうやったら喜んでくれるか?しか考えてなかったんで原価をめっちゃかけてたんです。だから、税理士さんも嘘やろ?みたいなコメントをしてましたよ。笑

 でもこれ本当の話ですからね。最初の2年間くらいは、木・金・土で20:00~24:00の短い営業をしてたんです。しかも、サラリーマンも続けていたので、利益を追求する必要もなく、やりたいことをやってたって感じなんです。だから、美味いラーメンを出すことだけを考えてやってたら原価率も上がりまくったという結果になったんですね。

 お客さんの反応を見て「もっとこうやったら喜んでもらえるかな?」という具合にちょっとずつ変えていきました。ただ、最初から自分のコンセプトである「男のラーメン」というラーメンを作りたいっていうのは全く今も変わってないですね。だから、メニュー構成とかも「男のラーメン」というコンセプトに合うか合わないかで全て考えています。しかも当時、関西ではまだそういうガッツリ大盛り系ラーメンっていうのは無かったんです。最初の「ちぇりー亭三田本店」が2007年にできたのでうちは先駆けだと思います。