-最先端のラーメンはお客様に受け入れられなかった

 4号店目は、当時豚骨ラーメンはあるのに鶏の豚骨ラーメンみたいなラーメンって何でないんだろうって思ったのがきっかけで、鶏白湯っていうジャンルの鶏だけの濃厚ラーメン専門店を長野で初めてオープンさせたんです。しかも、麺が黒小麦って言う真っ黒い麺でそばみたいな麺なんですけど、その黒小麦の力強い香りと濃厚な鶏のポタージュみたいなスープを口の中でマリアージュさせるっていう一杯は先端を行き過ぎてて、また地元で大バッシングだったんです。だから、そこも潰れるんじゃないかっていう感じだったんです。笑

でも、今はどこのイベントに出ても「美味しい」って言ってもらえるようになってきましたね。

 たぶん僕のラーメンの作品って世の中に出てくるまでにタイムラグがあるラーメンが多かったですね。その後、白醤油と濃厚豚骨の日本柱で提供するラーメン屋を長野県の上田駅の駅中に出店しました。それが5号店目の「もののふ」です。

-関東進出!信州のラーメンを全国へ

 そして関東に進出するんですが、横浜に白醤油をメインに使ったラーメンはその頃あまりなかったので、なみのりやという信州白系ラーメンというジャンルで24時間営業で出したんです。でも、2年くらいで立ち退きになってしまって退去することになりました。

 そして、僕が30歳くらいの頃に「気むずかし家」を作って、その時に「信州のラーメンを元気にしよう!」みたいな想いが出てきて、東京に錦を上げてみようってことで、10年くらい前に東京に「信濃神麺 烈士洵名」を作ったんです。信州の白醤油をメインとした信州食材の信濃地鶏とか、メンマの代わりにエリンギを使ったラーメン屋で、今は地元の人にも愛されてもう10年以上経ちますね。