-“助っ人”としてラーメンの世界へ!弟との軋轢、抗争!落ち着いたら別の道を歩むつもりだったのだが!?

 そのZUND-BARをオープンする時に、父から、「弟は職人肌でチームを作るのも苦手で、マネージメントもやりきれないと思うから、2店舗目は、接客やマネージメントを手伝ってくれないか?」と言われたんです。父は、以前から「不動産は波があるので、中村家の事業も日銭ビジネス的なものにシフトしていけたらいいな」と言っていたというのもありましたし、何より僕も、父に「お前の力を貸してくれないか」なんて言われたのは初めての事だったので、すごく嬉しかったんですね。更に「ラーメンも“ものづくり”だし」ってことで、「ここはひとつ、覚悟を決めて店主である弟の下に入って助っ人を全うしよう!」と思って、26歳の時にラーメンに携わり始めたんです。

 僕は、「もちろん弟は、父と同じ様に僕の力を必要としてくれている」と思っていたんですね。ところがフタを開けてみると、弟は僕の事を必要としていなかった。むしろ邪魔な存在だと思っていた。

 弟は小さい頃から、不器用というか、要領があんまりいい方じゃなくて、「人様にこれだけは誇れる!」っていうものが彼自身の中ではきっとあまりなかったと思うんですね。まぁ僕にもそんなもの無かったですけど。(笑) そんな弟が、本当に砂利を噛み締めるような思いをして、血反吐を吐きながら努力に努力を重ねて、まさに一から自分が作り上げたラーメンが、世の中一気に認められたから、彼にとってラーメンは、“自分だけの神聖なフィールド”というか、“自分自身そのもの”というか、そういうものだったんです。

 そこにズル賢い兄が、「なんかお金の匂いがするな〜ここは、ちょっと弟に一枚噛んで良い思いするか〜」みたいな感じで入ってきたと思ったらしいんです。僕も小さい頃から小器用だったから、弟もそう思ったんだと思います。

 でも、僕としては、それを穢さないように、“助っ人”として入ったつもりだったんです。自分なりに覚悟を決めて。「人が育ったらここから足を洗って自分はやりたいことをやる」って、父にも弟にもスタッフにも初めから公言もしていましたし。つまりラーメン業界にずっと携わっていくつもりは無かったんです。弟の神聖なフィールドを穢したくなかったですから。だけど、揉めに揉めたんですね。(笑) 溝は深まるばかりで埋まる事は無かった。

 で、ついに、弟が「俺はお父さんに言いくるめられたんだ!俺がやりたいのはこういうラーメンじゃない!こんな中途半端なラーメンを出すなら携わりたくない!俺は1店舗目の中村屋しかやらない!」って言い出したんです。

 その頃、弟は「情熱大陸」に出たり とか、ラーメン界のイチローとか若き天才なんて呼ばれて、空前のラーメンブームの一翼を牽引するようなスター的なポジションだったんですけどね、「何にしてもそんな子供染みたこと言ってちゃダメだろうよ」って、それはそれは散々ぶつかりました。

 でも、それ程までに自分のラーメンに拘りを持っていたというか、執着していたからこそ、弟は、あれほどの一世を風靡するようなラーメンを作り上げられたんだと思いますけどね。まぁあの頃の内情は、そんなこんなで、なんて言うかもう、本当にてんやわんやだったわけです。(笑)

 実際、僕も邪な気持ちがあったわけじゃないんですね、「弟の、つまり店主の理想を叶えるには」を一番に考えてやっていこうと思ってやっていたつもりなんです。弟の理想である「良い食材をふんだんに使って、最高に美味しいラーメンを作り続け、それをお客様にご提供し続けていく」ということを叶える為には、やっぱり利益を出し続けないといけないわけです。お金の事も考えてないといけない。大富豪のパトロンがバックに控えている訳ではないですから。

 でも、その理想を叶えるにはお金が必要だと言う事が、彼は当時まだ分かっていなかった。ガソリンを供給し続けないと車は目的地まで走り続けられないってことが、分かっていなかった。お金儲けみたいな卑しいことは、彼は自分の神聖なフィールドには持ち込ませたくなかった。

 しかしですよ、ここで店が傾くことは、ラーメンブーム全体に水を差すなっていうのもありましたし、中村家としても相当な資材を父親が突っ込んでいたんで、これをこのまま投資回収せずにポシャったら一家が路頭に迷うかもしれない・・・長男の僕としては、大好きな祖父、二人の祖母、父、母が路頭に迷う姿を見たくなかったんで、「やるかねえな」ってやったわけですね。あれは完全に無茶ぶりだったな〜と思いますけど、「おれならこれくらいのこと軽くやったるわ!」って啖呵切って。そんなこんなで、「ZUND-BAR」をオープンして2ヶ月ぐらいで弟と喧嘩別れする事になる訳ですけどね。(笑)

 そこから弟の望み通り、中村屋は完全に別会社にしまして、そんな事で、それから弟は父からは、ほぼ勘当状態でした。おれも「だけど、お前がタレだけは作れよ!最後まで責任もってタレだけはお前が作れ!当然だろ!そもそもお前が全部やるもんなんだ!お前が2店舗目をやるって言ったんだからな!」なんて言ったり・・・。まぁ今思えば、なかなか壮絶でしたね~。今はみんな仲良しですよ。(笑) 中村家は、「土砂降り降って、土石流流れて、地固まる」です。(笑)  その分、お客様やスタッフのみんなに散々ご迷惑を掛けてきてしまいましたけど。

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